田島たたみの田島です。
先日、畳交換のご依頼をいただきました。
ご連絡をくださったのは、かつて私が指導していた陸上選手のお母さんでした。
「先生に、どうしても畳をお願いしたくて。」
そう言っていただいたとき、胸が熱くなりました。
米沢市で畳店を営んでいると、
こうして“人とのつながり”が仕事につながることがあります。
今日は、少しだけ私の陸上の話を書こうと思います。

米沢市営陸上競技場から始まった20年
父が元気だった頃、私は社会ボランティアとして、大好きな陸上の指導をさせてもらっていました。
拠点は、米沢市営陸上競技場。
米沢市全域を対象に、小中一貫の陸上競技クラブチームを立ち上げました。
夕方になると、市内の小学生から中学生までが集まる。
一番多い時で、選手は60名。
それを監督として20年以上続けました。
小学生は楽しませる。中学生は鍛える。
私の中で指導方針は明確でした。
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小学校は「楽しむ」ことを徹底する
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中学校は「アスリートとしての基礎づくり」をする
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高校は「アスリートとして成長」がスタートする
山形県で上位に入れる選手を育てる使命感を持って指導していました。
冬は吹雪の中を走らせ、
夏は蔵王の高原で走らせました。
正直に言えば、選手たちにはつらい思いもさせたと思います。
それでも――
練習で培った自信は、確実に彼らの力になっていました。
青山学院大学、國學院大学、立命館大学をはじめとする名門校へ進学する選手も生まれ、
自分なりに「やり切った」と思える指導ができました。
父の死、そして職人としての覚悟
父が亡くなった後、私は畳職人として、家業に没頭する必要がありました。
陸上指導をやめ、仕事に専念しました。
今思えば、二足の草鞋でよく20年以上も続けていたなと思います。
でもあの経験があるからこそ、今、畳の仕事に真正面から向き合えています。
大変な仕事でも、前向きに楽しんで取り組める。
それは間違いなく、陸上で学んだ「走り続ける力」のおかげです。
陸上は究極の人づくりだった
指導をやめた頃、後輩や教え子たちが米沢に戻ってきました。
クラブ運営のやり方を伝え、
今は後継となるチームが軌道に乗っているようです。
私は学生の頃からずっと走り続けてきました。
引退してから見える景色があることにも気付きました。
後輩に伝えたいことも、まだまだあります。
でも最終的に、
人はいつか陸上から離れる。
そのとき残るのは、「前を向いて走り続けられる力」だと思っています。
年齢を重ねても、何かに挑戦してやり切る力。
陸上は、究極の人づくりだったのかもしれません(笑)
畳職人として、今も走り続ける
ときどき、思い出したようにあの頃のコースを走ります。
楽しむためにマラソン大会にも出ます。
そして今は、父が守ってきた畳店で、息子と一緒に働いています。
父が陸上をやらせてくれたこと。
父が守ってきた畳店を継げたこと。
その両方に、心から感謝しています。
ご縁がつながる畳交換
今回、教え子のご家族から「畳交換は先生に」と言っていただけたこと。
それは、私にとって何よりの誇りでした。
米沢市で畳店を続けていると、
こうした“ご縁”に支えられていると実感します。
畳はただの建材ではありません。
家族の時間を支える場所です。
親子の思い出が積み重なる場所です。
だからこそ、一枚一枚、丁寧に向き合っています。
米沢市・置賜地域で畳交換をご検討の方へ
畳の表替えや交換をお考えでしたら、ぜひお気軽にご相談ください。
米沢市・置賜地域の住まいを知り、
この土地で子どもたちと走ってきた畳職人が、
責任をもって施工いたします。
走ることも、畳をつくることも、私にとっては同じです。
どちらも「人を支える」仕事だから。
これからも、畳職人田島は前を向いて走り続けます。








